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自己紹介

あきってどんな人?①

こんにちは。あきです。

今回は私の人生についてご紹介します。①では幼稚園~社会人までをご紹介します。

幼稚園:良いお母さんになる
小学生:お母さん修行
中学生:交際を経験
高校生:初めて人を好きになる
社会人:結婚なんて、できる?

↑①でお話しします。
↓②でお話しします。

新婚:とんとん拍子で結婚へ
退職:妊活の為に退職を決意!
ママになる:ずっと憧れてた夢が叶う

幼稚園(3才~):良いお母さんになると心に誓った

比較的、小さい頃の記憶が鮮明に残っている方だと思います。4歳の頃、弟と喧嘩して私だけが母に怒られた事がありました。私はとても理不尽に思い、心に誓います。「私は良いお母さんになる」「私は子供にこんな思いをさせない」この時、私という人間の芯の部分ができました。自分もまだ幼稚園生なのに周りの子を自分の子供のように見て、勝手にお母さん修行をしていました。

小学生(6才~):同級生の男の子でお母さん修行

私は小さい頃から身長が高く体格にも恵まれていたので、同級生の男の子とケンカになっても負けない自信がありました。これを良いことに「女の子の味方、女の子に嫌な思いをさせる男子は許さない」と言わんばかりにやんちゃな男の子達を成敗していました。私にとってはこれも良いお母さんになる為の修行です。男の子達からは「やまんば」とあだ名を付けられ、恐れられていました(笑)

その結果(?)、卒業アルバムの先生からの一言で「あきさんは職員室の先生達の間では花嫁候補NO1です」と書かれました。この一言は私にとって本当に嬉しい一言でした。

中学生(12才~):交際を経験

小学生の私の印象は「やまんば」です。中学生になりイメージを変えなくてはいけないと思いました。何故なら結婚するには旦那さんが必要だからです。私の夢は「良いお母さんになること」。お母さんになるには、まず「彼氏を作る」必要があります。

でも、中学1年の時点で165センチの身長がある私は、自分より小さな男の子達を恋愛対象には見れませんでした。「好きになれないなら仕方ない」と思っていましたが、中学2年のバレンタインの季節に初めて「私を好き」と言ってくれる人が現れました。

今思えば、「彼女」という存在からチョコレートが欲しいだけだった男の子かもしれません。告白されたのは年が明けて少し経った頃、2週間後にはバレンタインがやってきます。私は大急ぎでバレンタインの準備をして、当日に臨みました。

人に見られたくないから「階段で会おう」とだけ決めていたのですが、いつ渡せばよいのか分からず、休み時間の度にそわそわ階段の様子を伺っていましたが「その時」は来ません。「今日は渡せないかも」という時に、彼が来て「今、大丈夫?」と階段に誘われました。これを逃したら渡せないと思い、チョコが入ったバックを素早く引き寄せ階段に向かい、何とか渡すことができました。もう本当に心臓がバクバクでした。

でも、私の初恋はチョコを渡すまでがピークでした。もともと私の方から好きになったわけでもないので、案外あっさり別れの時が来ました。どのように別れたのかはよく覚えていませんが、私にとって中学生で交際を体験できた事は良い経験となりました。

高校生(15才~):初めて人を好きになる

高校生になり、すぐに3年生の先輩を好きになりました。これが私の初恋です。私が先輩を意識し始めたのは4月の中旬頃。先輩から告白されたのが5月の頭。そして別れたのは6月の頭でした。そのスピードの速さに1人置いて行かれる私。先輩から好きと言ってくれたのに、何故1ヶ月で別れないといけないのか、私は理解に苦しみました。私の気持ちはまだ付き合い始めた頃の「ぽかぽか」なままなのに。。。結局、その先輩が卒業するまで約1年間、私はずっとその先輩の事が好きでした。卒業して姿が見えなくなったら案外早く、気持ちの整理がつきました。

2年生の夏ごろ、今度は他校の同級生を好きになりました。こちらも同級生の方から「好き」と言ってくれたのに、別れも向こうからでした。何故みんな、私を「その気」にしてすぐ、いなくなってしまうのか。。。

きっと、私が「面白くない」女の子だったから、だと思います。私は幼稚園の頃から「お母さん」を意識していましたし、付き合った人とは必ず「結婚」を意識していました。高校生の交際で「結婚」って、重たかったんだと思います。

この他にも、高校生の頃は「私の事が好き」と言ってくれた人は何人かいました。でも、「私が好き」な人でないと、どうしても結婚のイメージができなかったのです。中途半端な恋愛をする事は心が許さなかったので、私の高校生活はほとんどの時間が「片思いの恋愛」で幕を閉じました。

社会人(18才~):結婚なんて、できるのだろうか?

私は高校を卒業して、すぐ就職しました。社会人になると「出会いがない」。

私は「良いお母さん」と同時に「若いお母さん」にも憧れていました。自分の母が「若いママ」で私は小さい頃から「ママが若いって羨ましい」と母のおかげで良い気持ちになることが多かったので、自分の子供にも同じ気持ちを味合わせてあげたかったからです。

20才のママが一番理想でした。高卒で就職したから社会人経験は2年積んでいるし、若いママでも「学生からいきなりママ」になるよりは「社会人からママ」になる方が、何かと子供の為になるのではないかと、心のどこかで考えていました。

でも、現実は甘くありません。あの頃の私は必死で「彼氏」を探していました。そして見つける人は「だめんず」が多かった。。。私が人を好きになる基準は「私より頑張っている人」でした。「スポーツを頑張っている」「勉強を頑張っている」「仕事を頑張っている」頑張っている先は何でも良かった。ただただ、ひたすらに「頑張れる人」なら私を幸せにしてくれる人だと思っていました。だって「頑張れる」のだから。「頑張れる」ポテンシャルを秘めているから。いつか花開くと。

でも、「スポーツは頑張れて」も「仕事は頑張れない」という感じで、大好きなバレーボールは毎週欠かさず練習するし、呼ばれた大会は絶対断らないのに、3ヶ月ごとに転職を繰り返し、仕事を探している間は、私の「ひも」のように暮らす。という典型的な「だめんず」と付き合っていたりしました。

その時の私は「この人には私が必要」と変な勘違いをして、両親の言うことも、親友の言うこともまともに受け止められなかったのですが、今思えば、身近にいる人の助言って「本当に私の事を思って」言ってくれているのですよね。その人達の助言に耳を傾けられなかった事、残念には思いますが、自分で決めた人生だったので後悔はありません

この「身近な人の助言は大事」という事を体感できただけでも私の人生には良い経験になりました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?自分で言うのも何ですが、私って面白い人生を歩んでいると思うんですよね~。本当に小さい頃からお母さんに憧れていました。将来の夢って色々な場面で話す機会があると思うのですが、職業を言ったりしますよね。例えば、お花屋さんとかケーキ屋さんとか。私はずっと「お母さん」になりたかったので、なりたい職業は特にありませんでした。私は「事務」を選んだのですが、仕事が好きではありませんでした。社会人になったら嫌でも毎日会社に行きます。だから、職業を考えるってすごく大事なことですよね。子供にはたくさんの職業がある事を教えて、自分の好きな事を仕事にしてもらいたいなと今は考えたりしています。

ここまで読んで頂き
ありがとうございました。
続きは②でご紹介しますので、よかったら見て行ってください。

あきってどんな人?②こんにちは。あきです。 「あきってどんな人?②」では新婚~ママになるまで、です。 それでは早速行ってみましょう! ...

 

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